アジア失明予防の会

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●  服部先生のベトナムでの活動に参加して(京都府立医科大学眼科 米田 一仁)

2007/7/15~22

 ベトナムにおいて無償で眼科医療をされている服部先生の活動に現地で実際に参加させていただきました。出発前からある程度想像はしておりましたが、日本とは全く異なった医療事情の中で活動されている姿をじかに見ることができ、非常に有意義な経験をさせていただきましたので、皆様にご報告させていただきます。

 今回の日程は、一週間という通常の服部先生のスケジュールの約半分の期間ということもあり、とても高密度な日程でした。週の前半はハノイの国立眼科病院やテレコム病院で手術をされたり、ベトナム人医師たちに硝子体手術の指導を行われました。その間を縫ってハノイ近郊のハイフォンアイセンターで眼科医療器材メーカーのTOPCON社からアイセンターへ最新の手術用顕微鏡の寄贈式典があり、同席させていただきました。週の後半になると夜行列車でハノイから地方都市のネアン省ビンに向けて出発し、早朝に到着するや、休憩もそこそこに、朝一番に病院へ赴き、数十件の白内障手術と5~7件の硝子体手術をしました。手術が終わり、ビンの病院の方々との食事をすませるとすぐさま、列車に飛び乗り、次なる地方都市フエに向けて出発でした。フエでも2日間に渡りビン同様に多数の手術を施行し、手術が終わるとすぐに飛行機に飛び乗ってハノイに舞い戻るというハードなスケジュールでした。

 ハノイの医療事情は、出発前に聞いていたとおり、機材や施設、また診療スタッフの質などでの面では、おおむね現在の日本に引けをとらないレベルに達しておりましたし、実際に現地の医師たちも服部先生の指導により硝子体手術を安全にできるレベルに達しておられました。5年前に服部先生がベトナムにこられた当初の事情をお伺いしておりましたので、今日のような状態にもってこられるまでには、おそらく私たちが日本で診療をしている限り想像もできないような努力と苦労の積み重ねがあったであろうと思われます。一方、滞在期間の後半に行くことができた地方都市の状況はというと、事前に服部先生が病院にこられるという情報を聞きつけて、交通事情の悪い地方からも300kmもの道のりを経て受診されている方も多く、われわれが病院に到着したときにはすでに診察室の前には長蛇の列ができておりました。地域の医療は機材面では徐々に整いつつある町もありましたが、技術面では硝子体手術はもちろん白内障の超音波手術さえ施行されていないような状況であり、われわれが実際に手術をしながら現地の医師たちに指導するという状態でした。しかし、現地の医師たちの姿勢は非常に熱心で、手術の前後には数々の質問が飛んできますし、その熱心さのあまり手術をしている術者に接触しそうになるくらいに近くで集中して見学され、その熱意がひしひしと伝わってきました。

 また、今回実際に現地に行くことによって分ったことは、現地での医師の待遇や一般の方の生活状態や衛生状態などを含めて、日本とは異なった点が多くあるということはもちろんですが、基本的に「見えなくて困っている。」という気持ちは、どこの国であっても、どのような環境であっても同じであり、適切な医療が受けられないがために、失明を余儀なくされている人々が多くいること、また彼らがどれほど適切な治療を受けたいと切に思っているかということを肌で感じることができました。

 ベトナム滞在中に服部先生から眼科診療の技術など多くのことを教えていただきましたが、振り返ってみてもっとも印象的だったのは、「お金が目標だと、間違った方向に行くよね。何をすべきか?患者さんがいて自分が治すことができるなら、することは一つだろう。」という信念でした。もちろんベトナムで日本と全く同様のレベルの医療を提供できているのか?というと、現実的には無理なことも多くあったように思います。しかし、「常識にとらわれずに、その状況の中できる限りのことはなんでもやる。」という姿勢からは、とても多くのことを学ばせていただきました。医師というものの原点を見たような気がし、多くのことを考えるきっかけを得ることができました。

地方の若手医師にフェイコの指導をする米田医師
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